自分の手を見て「人間」と思えた。ちゃんと一人の「人間」と思えた。
こんばんは、卯月です。
いまお夕寝から起床したところなので、おはようございますと言った方がいいかな。
しばらく調子がいい日が続いていたのでその反動でしょうか。
今日はやけにおつかれモードでした。。
(うぅ。笑)
あでも気分が優れなかったり悩みがある日っていうのは大事な気づきがあったりするので、わるいもんでもないんですよ!
それで今日もぼんやりしながらモーフかぶって天井を見ていたら「あぁ、そっか。。」っていい感じの気づきがあったので。
今日はそのことしゃべりますね。いくぞよ。
……タイトルが。
ちょっとおつかれだからしょうがない!
↑手の形ってみんなそれぞれでおもしろいと思う。
自分の手を見てどう思う?
そうそう。今日は手の話をしようって思っていて。
突然ですがみなさまは、自分の手を見たときにどんなことを感じますか?
個人的には、色とか、形とか、思い出とか、そんな感じのひとが多いかなって想像していて。
(どうかな?合ってる?)
わたしも昔はそんな感じだったのですがちょっとこれがね〜。
病んでから若干虚しい状況になっていて。
この手はちゃんと人間の手だろうか。。
ということが心配になって、わたしよく自分の手を確認するんですよ!笑
なんか、変な癖でしょう?
でももちろん、なんの意味もなくそんなことをしているわけではありません。
もしかすると悲しいことなのかも
……かもと本音を隠さずと。
脳裏に「バケモノ」の手が映る
ベッドで眠っていて、ふと目を覚まして。
それで手をあげてみて確認するんですよ。
どんな手をしているかなって。
そうすると、もちろん手は手で普通に手なんだけど。
(語彙力。笑)
脳裏にね。真っ黒なバケモノの手が映るんです。
わたしはそのたびに、自分ってもしかしたらちゃんとした人間じゃないのかもしれない。。
という風にこわくなって、もっとよく見るんです。
そしたらやっぱり目に映るのは、ちゃんと肌色の手なんだけど。
でもなにか、暗い気持ちになったりすることがありました。
「ひと」なのかわからない時があったんだ〜
……だがそれも昨日までの話さ。
だって「人間」にわかってもらえないから
うっわ〜。なんか暗っ。
でも話すって決めたんだからね。話しますよ。はい。
まぁそれでだ。
別にバケモノの手に見えるって言ってもね?
その手で何かをしてしまったとかそんな話ではありません。
ただ、自分の中で精神世界みたいなものが独自の発達を遂げているので「人間」に共感されるっていうことが少なすぎたのかもしれません。
「仲間」って思っていいのかわかんなくなっちゃった。
たぶん、そんな感じ。
↓たとえば、みえない世界がわかったりすること。
↓たとえば、自分とおんなじ性別と思えるひとがいないこと。
↓たとえば、たくさん名前を持っていること。
そういうの色々、「ひとりぼっち」と感じてしまったのかもしれません。
おかしいよね。あたたかく接してくれる家族がいて、友だちがいて、すごく恵まれた環境にいるはずなのに。
だけどなんとなく、群れから外れた野生動物的な気分になっていたのだと思います。
自分のことを「人間」と思うのがためらわれていました。
……野生動物と言っても。
ひきこもっててお家にいるんだけどね〜
自分の手を見て「人間」と思えた
ところが、本当についさっき。
起きる前にまたいつものように自分の手を確認していたら、ふとむかし幼稚園で習った歌を思い出しました。
有名なので知っている方多いんじゃないかな。
『手のひらを太陽に』という童謡です。
ぼくらはみんな いきている
いきているから うたうんだ
ぼくらはみんな 生きている
いきているから かなしいんだ
てのひらをたいように すかしてみれば
まっかにながれる ぼくのちしお
みみずだって おけらだって
あめんぼだって
みんな みんないきているんだ
ともだちなんだ出典:手のひらを太陽に 童謡 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索
なんでいきなりそんな昔に習った曲を思い出したんだろう。。
とちょっと不思議に思ったのですが、そういえば幼稚園生の時にこれの5、6行目に感動したことがあって。
てのひらをたいように すかしてみれば
まっかにながれる ぼくのちしお
指先を合わせて手を光に透かしてみると、その間が赤く光ることを幼稚園生の時に教えてもらったんです。
血の色が見えるなんて聞いたときは正直あまり信じられなかったのですが、やってみたら確かに自分の指と指の間が赤く光っている。
そしてそれが自分の中に流れている血の色なんだと知りました。
そんな一連の記憶を思い出したので「そうだ、やってみよう」って思って。
ベッドで横になったまま、天井の光に自分の手を透かしてみました。
そしたら、赤く光りました。
ちゃんと昔とおんなじ血の色で、「人間」の血の色で赤く光りました。
その時になんだか腑に落ちて。
わたしは「人間」として生まれて、いまも「人間」だな。
わたしはずっと「人間」で、ちゃんと一人の「人間」なんだな。
そんな風に思うことができました。
なんかね。
変な癖だとはわかっていたけれど、自分の手、ずっと見ておいてよかったかもしれない。
こんな風に思えたのは、きっとお部屋の光がつけっぱなしだったから。
暗かったからつけておいたの〜!
……明るかったら、きっと電気は消していたね。
ちゃんと一人の「人間」と思えた
だから!これからは自分のこと「人間」と名乗れそうです♪
いや、一時期ほんとうに「人間」と名乗ることもはばかられていてね?
自分のことを表現するのに「存在」という言葉を使っていたくらいなので。
(めっちゃ病んでるな。笑)
↓いつか変えるかもだから写真のせとくね。中央。
いまは気に入ってるからこれはこのままにしとくけど、ようやく「消去法」じゃなくて「選択」という気持ちになれます。
これからは自分のことを「人間」と胸を張って名乗れそうです✨
また一歩前進かな♪
……辛い時は探すから見つかるんだ。
まとめ
はい。ということで。
今回は自分の手の気づきのお話でした。
いま自分の手を見たら、ちゃんとそのままの人間の手に見える。
脳裏に悲しい映像が流れたりしない。
フィルターが取れたっぽい✨
内容ちょいと暗いとこもあったけどさ!
おわり良ければすべて良し!でしょう?
なんだかハッピーエンドに近づいてるって感じがします。
よし。このまま進みましょう。
それでは!おやすみなさい🌙
そういえば、わたしたちの手は何色になるんだろ?
……ボクらはボクらの好きな色になるだろうね。
今日も最後までありがとうございました。
以上、卯月でした。🈷
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