【古典】『徒然草』から学びました。
こんばんは、卯月です。
今日は七夕ですね♪
今のところ空はくもっていて星は見えそうにないのですが、夜中もちょっとチェックしておこうと思います。
でも卯月の住んでいるところは都会なので、晴れていても天の川は見えないのかな。
こういうときは空気のきれいな場所が恋しいです。
↓七夕の話は昨日してるよ
さて。せっかくの伝統行事の日ということなので、ちょっと日本らしく古典の話でもしましょうか。(いきなりすぎ?)
卯月が教訓を学んだ作品についてです。
……古典の話は初だね。
色んな日があった方があきないでしょ♪
教訓を学んだ古典作品
ちょくちょく話しているのですが、卯月はこれから歌手と小説家になる予定なので今はとにかく能力を身につけようとしているところです。
そんなときに目の前に立ちふさがるもの。
それが「はずかしい」という恐れの気持ちです。
自分がまだ納得できないものを見せるのってはずかしい。
でも、見せないと上達しない。どうしよう。
ってなっていたのですが。
そんなときにたまたまこの作品を読んで、自分の中でなにか割り切ることができました。
その作品というのは、今からもう700年以上も前に吉田兼好さんがまとめたという『徒然草』です。
日本三大随筆の中のひとつでもあるので、みなさまご存知かも知れませんが。
その中の第一五〇段「能をつかんとする人」というところがいいのです。
今から紹介しますね。
たしか古典の教科書とかにものってた気がするよ!
「能をつかんとする人」
まずは本文をそのまま。
こんな感じです。
能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。いまだ堅固(けんご)かたほなるより、上手の中にまじりて、毀(そし)り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性その骨(こつ)なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能(かんのう)の嗜まざるよりは、終(つい)に上手の位にいたり、徳たけ、人に許されて、双(ならび)なき名を得る事なり。
天下のものの上手といへども、始めは不堪(ふかん)の聞えもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして放埓(ほうらつ)せざれば、世の博士にて、万人(ばんにん)の師となる事、諸道かはるべからず。
徒然草
……本文だけでは分かりにくいのでは。
たしかに
じゃあ要約するね!
要するにこういうこと
超ざっくり要約いたしますと。
だめなうちも隠そうとしないで、ばかにされても平然と続けなさい。
どんな道でも、その道の掟を大切にしていれば進んでいけばいつしか万人の師となる。
ということです。
こういうものは解釈がたくさんだと思うので、あくまで卯月の見解ですが。
なんか、これを読んで納得できたんですよね。
そっか。へたでも平然と続ければいいんだ。
って。
いい作品に出会えました。
照れててもうまくなれないしね〜
……平然としている事。
まとめ
はい。ということで。
今日は古典『徒然草』の話をしてみました。
ずっと語り継がれているものって、やっぱり深いことを言っているものが多いですね。
自分の学ぶところを決めつけないで、こうやって色んなものから知恵を吸収していけたらいいなと思います♪
なにかいいものに出会えたら、またお話させてください。
ではでは。
また明日ね〜♪
……じゃ。
最後までお読みくださってありがとうございました。
以上、卯月でした。