心は現れる。
こんにちは、卯月です。
本って、よく読みますか?
ここにいるのはわざわざブログを読んでくださっている方な訳ですから、もしかしたら、本好きの方は多いのかもしれませんね。
わたしはというと、実は最近まで読書が好きではありませんでした。
小学生の時なんかは、普通に「読むのがめんどくさい」という気持ちでの読書嫌いでしたが、もう少し年齢が上がってくると今度は「情報を取り入れるのが怖い」という方の読書嫌いに変わっていきました。
「情報を取り入れるのが怖い」という気持ち、分かりますか?
例えば、テレビで流れている物騒な事件。
そういうものって見てしまった後に、ああ、今の見るんじゃなかったって思ったりしますよね。
まさに、その感じです。
わたしにとって読書はそういう感覚に近いイメージがありました。
当たり前ですが、本には自分にとって、良いことも、悪いことも書いてあります。
良いことは本当に人生を豊かにしてくれるものですが、悪いことを読んでしまった時にはなかなかに大変です。
悪いものを「受ける」という感覚が強くて。
これ、共感してくださる方、いますかね?
「感受性が高い」ってことなのかなぁ?なんて思ったりもしますが、小説家になるにあたって本を読まない、読めない、なんて致命傷どころの騒ぎではないので、わたしは最近になって渋々、本を読み始めることにしました。
あまり気乗りせずに読み始めた本たちですが、案外、イケますね。笑
今までは嫌なことから逃げるように本から逃げていたわたしですが、(それこそ学生時代に読んでいた本は夏休みの「読書感想文用だけ」なレベル笑)真面目に読書をし始めると、意外と面白いなぁと思えるようになったんです。
もちろん未だに本を読む上での臆病な「繊細さ」みたいなものは残っているんですが、それよりも自分の「糧」になるものが多いような、そんな感覚です。
構成、言葉、描写、語彙、人物、発想……
小説家になる!と決めてからは、とにかく色んなことに注目して本を読み進める訳ですが、読んでいて一つ、全てに共通することを見つけてしまいました。
それが、今日のタイトルでもある、
心は現れる。
ということです。
もう一度言います。
心は現れるんです。
つまり、文章にはその人の「人となり」が現れるということです。
例えば、机の上にリンゴが一つ置いてあったとします。
その時に、ある人は「赤さ」に注目し、ある人は「産地」に注目する。
要するに、フォーカスする所が人によって全然違うということ。
そして、それらが積み重なると自然とそこには筆者の「心」が滲み出てくる、という訳なんです。
そして、これは本だけじゃなくて、どんな分野においても同じこと。
例えば音楽。
わたしは最近、作詞作曲の勉強も兼ねてよく音楽を聴くのですが、その時にも同じことを思います。
やっぱり、同じ人が作ったものって同じ香りがするんです。
それはきっと、何かを作る人だけじゃなくて、どんな人だって同じこと。
その人の全てに、その人の「心」が現れるんです。
……ということは。
素敵な本を書きたかったら、素敵な曲を作りたかったら、まずは自分自身の心を磨かなければ。
そんなことを思った次第であります。
最後までお読みくださってありがとうございました。
以上、卯月でした。