世界が平和になったらいいと思う。
こんばんは、卯月です。
今日は8月6日。原爆の日ですね。
わたしが今何か言えることもないのですが、そんな日に少し考えてみたいこと。
今回は少し平和に関係するお話をしてみようと思います。
平和ってなんだろ?
……それは世界の課題なのだろう。
世界が平和になったらいいと思う
世界が平和になったらいいと思うっていうのは、わたし本気で言ってます。
でも、平和ってなんでしょうね。
戦争がないこと?餓死者がいないこと?
そんな風に言われると、なんだかそういうのってうまく答えられません。
卯月が前に書いた記事で、幸せと不幸というのは表裏一体だという話をしたことがあります。
↓けっこう前の
いいことがあれば悪いことがあり、また悪いことがあればいいことがある。
卯月としては平和の中にもそんな陰と陽のような関係性を感じているんです。
たとえば争いで多くの命が失われたとしても、争いがあったことで生まれ得た命もあることでしょう。
そう思うとわたしは一体何を望めばいいのだろうかと、わからなくなってしまいそうです。
なにが正しいかって自分で決めなきゃいけないの!
……ボクら己の軸で生きるしかないさ。
限りなく「無」を目指していた
さっき言った「いいこと」と「悪いこと」が表裏一体だという話。
卯月がそれを身に染みて気づいたのは高校生の時でした。
だから、それまではなんの迷いもなく「いいこと」をしようって思っていたのですが、それが起こることで何かしらの「悪いこと」が起こっているという風に気づいて。
しかも、その「悪いこと」っていうのは卯月以外の別の誰かが被っていたりすることを知って。
それから、「いいこと」も「悪いこと」も起こらない「無」の状態を目指していた時期があります。(いや、ほんとに笑)
実際それはわたしの中でかなり困っていたことでした。
けど、数年間のひきこもり生活を経て、それって違うよなと気づかされました。
それではきっと心をなくしてしまうの
……絶対零度すら温度で測られてしまうんだ。
だから光に進んでいいと許した
そもそも気づいたのが「いいこと」「悪いこと」そんなのはその人のその時の世界の切り取り方に過ぎないということです。
今は実際の世界にはあらゆる物事が「在る」だけであるというのがわたしの考えになりました。
つまり、わたしが勝手に自分のフィルターで色々決めつけてただけ。
自分の中で「いいこと」と思えるような、つまり本当に自分の進みたい道を閉じてしまうのって全然意味ないじゃん!
という風にわかってからは、自分が自分自身の光に進むことを許せるようになりました。
光があるところには闇があるように。
卯月は信念がものすごく強烈なんで、わたしが動くことによる変化がこわかったんだと思います。
でももう、それによって起こりうるありとあらゆることを許せるようになりました。
そういうの、色々あってこその人生ってもんですよね!
その方がきっと生きがいがあるはず♪
……それが人生の醍醐味かも知れない。
つまり自分の望むまま
なんでこんな話をしたのかっていうと、平和を願うのもアリってこと。
日常生活で平和願ってるひとってそんなに見かけないし。
(みんな内緒にしてるだけかもしれないけど!)
どちらかというと今の社会、そんなこと本気で言ってたら冷ややかな目で見られてしまいそうな気がしていました。
でも、そんなことは気にせずに自分はただ自分の望む道に進めばいいってこと。
さっき、何を望めばいいかわからないという話をしましたが。
それはきっと社会の目で考えようとするからわからなかったんだと思います。
自分の目を信じたら、自分自身の望みがわからないなんてことないはず!
平和がなんなのかわからなくたって。
なにをしたらいいか答えがなくたって。
わたしは平和を望みたいから望むことにしました!
決まり!
結論でた〜!
……随分シンプルと。
まとめ
はい。ということで。
今日は平和に関係するお話でした。
結論は。
平和がいいね!そう進むよ!
ってこと!(まとめ方が雑。笑)
考えながら話していたので、わたしの思考の動きまでブログに映ってしまいました。笑
でも、それぞれが自分の生きたいように生きたら、なんかもうそれでいいですよね。
今回はちょい真面目回でした。
お付き合いいただき感謝です。
みんなハッピーなら世界はハッピー!
……極論はね。
最後までお読みくださってありがとうございました。
以上、卯月でした。