月と星の王子さま。一ばんたいせつなものは、目に見えない。
こんばんは、卯月です。
もう今日から一〇月ですね〜。
この前九月がはじまったばっかりなのに、はやすぎる。。
↓これ今月もね!ほんと強運になるから!
そしてみなさま!今日は十五夜ですよ〜♪
十五夜。つまり満月。
一〇月初日から満月だなんて、きっと今月はいい月です♪
我が家では毎年秋の十五夜にはおだんごを作る慣しがあるので、今日はこの後おだんごを食べる予定。
わたしはひきこもってるから食べ専ですけどね!
(元気になったらお手伝いすればいいって。)
せっかくなので今日はお月さまの話をしましょうか。
「卯月」って名前につけてるくらい、わたしは月が好きなので。
お月さまってきれいだよね〜!
……ボクらの運命を遠くから見つめているようだ。
↑『星の王子さま』とつなげてみよっかなって。月と星。近いからさ。
月の世界にみせられて
わたし月が好きなんですよね〜♪
↓だから前も満月のお知らせをしたし
↓月の土地だって持ってる
まあ自分は太陽みたいにエネルギー放出型なので、月のようにしずしずと反射してるタイプじゃないけれど。
でもお月さまって想像力とか幼少期とかそういうところと強く結びつくエネルギーだから、その点非常に親近感があってね。
掛詞的な言葉あそびが好きなので「卯月」って名前由来がたくさんありますけれど、そのうちのひとつはこの「月」っていう雰囲気そのものなんですよ〜♪
そんな感じで月が好きです。
(ロマンチストゆえロマンを感じるものに弱いっ。)
やっぱり人生一回きりなんだからドラマチックにいきたいよね〜!
……遠くの星を見ていたいような。
月と星の王子さま
さっきさらっと月に土地を持ってるって言いましたが、そうそう。
わたし月の土地を持っています。
いま土地を持ってたところで月にいけるってわけではないけれど、それでもわざわざ得たいと思った理由はただロマンがあるというだけではありません。
その理由はね。。
そこに居場所があるって思えるから。
遠くのお月さまを見上げたときに「あのきれいなお月さまのどこかに、わたしの場所があるんだ」って。
実際には行けない。触れられない。
でもそういう風に思えること自体に、わたしは価値を感じるようです。
『星の王子さま』って有名な文学作品がありますよね。
たとえばこんな言葉はご存知の方も多いはず。
一ばんたいせつなものは、目に見えない
『星の王子さま』より
ものごとは心の目でみなくてはいけないと。
そういう愛を感じます。
それで、その作品の中にはね。
わたしの気持ちとおんなじ言葉、たくさんあるんです。
たとえばこんなもの。
だれかが、なん百万もの星のどれかに咲いている、たった一輪の花がすきだったら、その人は、そのたくさんの星をながめるだけで、しあわせになれるんだ。そして、<ぼくのすきな花が、どこかにある>と思っているんだ。それで、ヒツジが花をくうのは、その人の星という星が、とつぜん消えてなくなるようなものなんだけど、それもきみは、たいしたことじゃないっていうんだ
『星の王子さま』より
あるいはこんなもの。
砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ……
『星の王子さま』より
花だって人だって。
月という場所だっておんなじではありませんか?
目には見えなくても大切なものがそこに在るってことこそ「大切」じゃない?
だからね!わたしはお月さまをながめるのが好きなんです。
それはそこに、わたしにとっての「大切」が隠されているから。
……そうさ。目が無いと見られない位が丁度良い。
そしたら、それは自分だけのものになるから♪
まとめ
はい。ということで。
今日はお月さまの話をしてみました。
なんだかこんな風に色々と想いを重ねたあとだと、よりそういう大切さが身に染みてくるような気がします。
大切なら大切って、言葉にするとより強く感じられるものなのかもしれません。
みなさまもよかったら今夜、窓の外の月をのぞいてみてくださいね。
天気が合えばきっときれいな満月が見えるはずです。
それでは。また明日♪
晴れてきれいに見えるといいよね〜♪
……曇り空なら心の眼で見れば良いだけさ。
いつも最後までありがとうございます。
以上、卯月でした。
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【共感覚】あたり前ではないっぽい。
こんばんは、卯月です。
なんかこの頃ですね。
卯月内の「ふつう」ってのが、どうやら一般的には「ふつう」ではないらしい。
ということに気づきはじめました。
もとから変わってるのかな〜くらいには思ってたんですけれど、感覚がそもそも異なるところがあるっぽくて。
今日はそれについて話してみたいと思います。
……普通かどうかは主観でしかないけどね。
それは一般的にってことで!
共感覚者っぽいのです
あの、みなさま「共感覚」ってものはご存知ですか?
共感覚(きょうかんかく、シナスタジア、synesthesia, synæsthesia)は、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。 例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、味や匂いに、色や形を感じたりする。これまでに150種類以上の共感覚が確認されている。 英語名 synesthesia は、ギリシア語で共同を意味する接頭辞 syn- と感覚を意味する aesthesis から名づけられた。感性間知覚。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まぁざっくり言うと、色んな感覚が連結しちゃってる状態。
例えば音楽を聴くと形を感じるとか、ものを見ると音が聴こえるとか、そんな感覚です。
2000人にひとりって言われたり、23人にひとりって言われたりその数は定かではないようですが、とにかくちょっとレアな個性ですね。
それでどうやら、卯月の感覚はちょっぴり共感覚者っぽいということを自覚しはじめました。
診断とか受けたわけじゃないけど!
……想えばそうさ。
自覚するまでのこと
共感覚とひと口に言ってもその繋がり方は人によって全然ちがうそう。
数字に色が見えちゃったりして、それによって苦労する方もいるようですが。(ちなみに卯月は数字色なし)
卯月の場合はそこまで強烈なものじゃなくて、スイッチ入れるとONになるみたいな状態だったので日常生活に支障がゼロでして。
想像力をはたらかせて感じてるのかなくらいの印象でした。
でも、まわりの人はそういう感覚ほんとにないっぽい。笑
じゃあ、いちおう共感覚者に入るのではってことで自覚に至りました。
スキルのひとつとして活用してる感じ〜♪
……境界線は曖昧なのかも知れないね。
これってあたり前じゃないの
共感覚ってものを知らなかった人にしてみれば、いきなりなんのこっちゃって感じだと思うので。
具体的にスイッチをONにしたときの感覚をお話ししてみたいと思います。
たとえば、音楽の場合。
ONにすると色や形、空間のイメージが広がります。(卯月の場合は音程ごとに感じたりはしなくて、あくまで全体から来るもの)
例えば、 一青窈さんの『ハナミズキ』って曲あるじゃないですか。
あれなんか感じてみると、うすい桃色やらミントグリーンやらが光でほわ〜ってなってるところに、ちょっと赤っぽい筋が入ってゆれているようなイメージが見えます。
ONにしたら誰でも何かしらそういうの見えるって思ってたけど、もしかしてちがうの?かな?
出てくるイメージは形だったり空間だったり曲によってちがいますが、 とにかくスイッチを入れることによってそういう現象が起こります。
みんなはどうなんだろ?
……さぁ。
真理の音が聴こえる
そういう感覚の話はあげていくとキリがないので、あと一個だけ紹介しておこうかな。
わたしがちょこちょこ言ってることのひとつに「真理をわかりたい」っていうのがあるんですよね。
それで、この感覚もあまり理解されない可能性があるとは思うんですけど。
真理にも音があるんです。
見た目がうつくしいのは知ってますけれども、その音もね〜すごいきれいなんですよ。(鈴みたいにシャラシャラしてるけど鈴ではない音)
それで卯月はそんなこと常々言ってるわけです。
ちなみに卯月は宮沢賢治さんの『銀河鉄道の夜』という作品がとても好きですが、サウンド的にはその中に近いものを感じます。
特にここ!この文章で卯月は真理にとても似た音を聴いています!
するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと云う声がしたと思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊の火を一ぺんに化石させて、そら中に沈めたという工合、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざと穫れないふりをして、かくして置いた金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえして、ばら撒いたという風に、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼を擦ってしまいました
『銀河鉄道の夜』
ね、みんなにも聴こえたかな?
……同じ音はキミとボクにしか響かないさ。
まとめ
はい。ということで。
今日は卯月が少々共感覚者気味であるという話でした。
なんだかめずらしいものかもしれないのでお話ししてみましたが、お楽しみいただけたでしょうか?
そういう感覚じゃないっていう方が面白い世界を垣間見たような気分になっていたら、今回の記事は大成功です♪
それではまた明日お会いしましょ。
今日のはちゃんとわかってもらえるかちょっぴり心配だな〜
……どちらにしろ自分の持つ物は変わらないさ。
最後までお読みくださってありがとうございました。
以上、卯月でした。
【孫子の兵法】戦から学ぶ命の生き方。
こんばんは、卯月です。
今日はおそうじ2日目。
でも、整理整頓について今話したいことは特にないので。
いきなりですが、「孫子の兵法」の話をします。笑
……話の展開が急過ぎるのでは。
この前勉強してためになるって思ったから、みんなに話したいの!
「孫子の兵法」ってなんだっけ?
みなさまご存知かとは思いますが、一応説明しておきますね。
「孫子の兵法」というのは今から約2500年前に中国で生まれた『孫子』という書物に書かれている、争いに勝つための考え方、戦い方のこと。
書いた人は孫武という軍師さんです。(この人のことも孫子という場合があるので、孫子には書物名と人物名2つの意味があります)
「最古・最高の兵法書」と呼ばれたりもしている大人気の書物です。
……『孫子』を大人気と解説するのは若干違和感が。
だって、昔からすごく人気でしょ?
……まぁ。
え、これから戦うんですか
もちろん、卯月がこれから戦闘しようと思っているわけではありませんが。笑
この書物の中には戦い方を通して生きていく上のヒントがたくさん詰まっているみたいだったので、卯月も勉強してみました。
ビジネスをする方とかにも人気の書物みたいです。
わたしはビジネスしてないけど、気になったから学んでみた!
……生き方は誰でも参考に出来るものだからね。
学んでみた感想
それで、学んでみて卯月はとても納得しました。
孫子の兵法に書かれていることはどれも戦いについてが軸になっているのですが、そこには強い普遍性があるので、さまざまな状況に当てはめて解釈することができるんです。
書いてある内容も理にかなっているし、卯月はまださらっと解説本を読んだ程度なのに、それでも考えさせられることがたくさんありました。
今まで自分がなぜかうまくできなかったことが言葉としてのっていて、そうか、そのことを知らなかったからうまくいかなかったのか、という気づきもありました。
色々考えさせられたりしたな〜
……考えるのは良い事だよ。
『孫子』の言葉
せっかくなので卯月がためになると思った言葉をご紹介します♪
いい言葉はいっぱいあったのですが、ここでは3つだけ。
卯月の学んだ通りに書きますが、解釈は色々あると思うのでそこはご了承ください。
迂を以て直と為し、患を以て利と為す。
うをもつてちょくとなし、かんをもつてりとなす。
これはかなり有名な言葉ですね。
まわり道(迂)を近道(直)に変える。
不利(患)を有利(利)に変える。
卯月は、ピンチからチャンスを生み出すような考え方がいいという言葉だと捉えました。
それは時にむずかしいことだけれど、孫子に書いてあったと思うとそこには自分のまだ知らない大切なものが隠されているような気がしました。
それ戦勝攻取して、其の功を修めざる者は凶なり。
それせんしょうこうしゅして、そのこうをおさめざるものはきょうなり。
要約すると、戦いに勝っても、目的を果たせなかったら失敗なんだよっていうことです。
戦いに勝って勝負に負けるってやつですね。
自分のひと時の気の迷いで本来の目的を見失うことがないようにしなければいけないな、という風に思いました。
やっぱり、自分の中で行くべき道を確かめておくことなのかな。
夢を叶える上でもとても大切な言葉だと思ったので選んでみました。
智者の慮は、必ず利害に雑う。
ちしゃのりょは、かならずりがいにまじう。
物事をプラスの面とマイナスの面、両方から見ることが大切だという言葉です。
いやなことがあると、ついついいやな方向に頭がいってしまう。
逆にいいことがあるとすぐ調子にのる。
卯月はそういう風に冷静な判断をなくしてしまう瞬間があるので、この言葉を心にとめておきたいなと思いました。
ほかにもいい言葉たくさんあったよ〜♪
……時代を超えて読まれる物には理由があるね。
まとめ
はい。ということで。
今日は、「孫子の兵法」についてでした。
争いというのは本当にリスクのあるもので、それに見合う目的がない限りしてはいけないな、ということも思ったりして。
まさに学びにあふれている言葉たちでした。
これからも色んなことから勉強していきたいと思います。
また何か面白いものがあったらお話ししますね♪
それじゃあ、また明日ね〜♪
……おやすみ。
最後までお読みくださってありがとうございました。
以上、卯月でした。
面白いって。
こんにちは、卯月です。
雨……ですね。
今日は少し外を歩いたのですが、街を傘の下から覗くと、なんとも言えない陰気さを感じてしまって、家に帰るとほっとしてしまいました。
まぁ、基本的に家が一番なんですけどね。笑
さて、本題に入りましょう。
突然ですが、「面白い」と「面白くない」の違いって考えたことありますか?
人の話でも、テレビでも、ゲームでも、お笑いでも、日常の至るところに「面白い」ものと「面白くない」ものってあると思うんです。
「あの人面白いよね」とか「こないだの映画が面白くてさ〜」という会話もよく聞きますね。
ただ、わたしにはまだ全ての面白いを合体させた「究極の面白い」を語るスキルはないので、今日のところは「面白い小説」についてお話ししたいと思います。
わたしは小説家を目指しているので、小説に関して色々考えることがあるのですが、小説家を目指し始めた時、一番最初に考えたことが、
「面白い」って何?
ということでした。
よく考えると「面白い」って謎じゃないですか?
一つの小説の感想で、ある人は「面白い」と言い、またある人は「面白くない」と言うのが日常茶飯事です。
「それって好みの問題じゃないの?」と言ってしまえばそこで終了。
でも、多くの人が「面白い」という小説と、そうでない小説を読み比べると、やっぱりその差を実感することが多いです。
じゃあ一体、その差はどこから来ているのか。
色々考えてたどり着いた卯月流・面白い小説の条件①〜③をまとめてみます。
卯月流・面白い小説の条件①
流れるような文章
面白い小説って文章を読むだけで心地よいです。
しりとりのように話が流れていくと、するする読めてしまう気がします。
これは、わたしがブログを書くときも意識しているはずなんですが……
果たして出来ているのか?笑
卯月流・面白い小説の条件②
十作って一語る
表面をなぞったような小説と、しっかりその世界に入り込める小説の違いはここかな、とわたしは思います。
こういう風に作ってある小説は、伏線もリアルな気がします。
卯月流・面白い小説の条件③
予想を裏切って期待を裏切らない
いくら意外性を狙っていても、期待を裏切られてしまうと読者としては面白くありません。
小説家として読者に対する意識は大切だなぁと感じています。
どうでしょうか?
これが今のところの三大重要ポイントのような気がしております。
とりあえず、この三つを抑えて一本短めの小説を書いてみる予定ですので、その小説の出来を見て、減らしたい・増やしたい項目を考えていこうと思います。
よし!がんばるぞー!
ということで、最後までお読みくださってありがとうございました。
以上、卯月でした。
心は現れる。
こんにちは、卯月です。
本って、よく読みますか?
ここにいるのはわざわざブログを読んでくださっている方な訳ですから、もしかしたら、本好きの方は多いのかもしれませんね。
わたしはというと、実は最近まで読書が好きではありませんでした。
小学生の時なんかは、普通に「読むのがめんどくさい」という気持ちでの読書嫌いでしたが、もう少し年齢が上がってくると今度は「情報を取り入れるのが怖い」という方の読書嫌いに変わっていきました。
「情報を取り入れるのが怖い」という気持ち、分かりますか?
例えば、テレビで流れている物騒な事件。
そういうものって見てしまった後に、ああ、今の見るんじゃなかったって思ったりしますよね。
まさに、その感じです。
わたしにとって読書はそういう感覚に近いイメージがありました。
当たり前ですが、本には自分にとって、良いことも、悪いことも書いてあります。
良いことは本当に人生を豊かにしてくれるものですが、悪いことを読んでしまった時にはなかなかに大変です。
悪いものを「受ける」という感覚が強くて。
これ、共感してくださる方、いますかね?
「感受性が高い」ってことなのかなぁ?なんて思ったりもしますが、小説家になるにあたって本を読まない、読めない、なんて致命傷どころの騒ぎではないので、わたしは最近になって渋々、本を読み始めることにしました。
あまり気乗りせずに読み始めた本たちですが、案外、イケますね。笑
今までは嫌なことから逃げるように本から逃げていたわたしですが、(それこそ学生時代に読んでいた本は夏休みの「読書感想文用だけ」なレベル笑)真面目に読書をし始めると、意外と面白いなぁと思えるようになったんです。
もちろん未だに本を読む上での臆病な「繊細さ」みたいなものは残っているんですが、それよりも自分の「糧」になるものが多いような、そんな感覚です。
構成、言葉、描写、語彙、人物、発想……
小説家になる!と決めてからは、とにかく色んなことに注目して本を読み進める訳ですが、読んでいて一つ、全てに共通することを見つけてしまいました。
それが、今日のタイトルでもある、
心は現れる。
ということです。
もう一度言います。
心は現れるんです。
つまり、文章にはその人の「人となり」が現れるということです。
例えば、机の上にリンゴが一つ置いてあったとします。
その時に、ある人は「赤さ」に注目し、ある人は「産地」に注目する。
要するに、フォーカスする所が人によって全然違うということ。
そして、それらが積み重なると自然とそこには筆者の「心」が滲み出てくる、という訳なんです。
そして、これは本だけじゃなくて、どんな分野においても同じこと。
例えば音楽。
わたしは最近、作詞作曲の勉強も兼ねてよく音楽を聴くのですが、その時にも同じことを思います。
やっぱり、同じ人が作ったものって同じ香りがするんです。
それはきっと、何かを作る人だけじゃなくて、どんな人だって同じこと。
その人の全てに、その人の「心」が現れるんです。
……ということは。
素敵な本を書きたかったら、素敵な曲を作りたかったら、まずは自分自身の心を磨かなければ。
そんなことを思った次第であります。
最後までお読みくださってありがとうございました。
以上、卯月でした。