【今日からわたしは鶴職人①】こんな時こそLet'sポジティブ。
こんばんは、卯月です。
今日はまた妙なタイトルですね。
この前セミ太郎の羽化エピソードで連載をしてみてから少したったので、またまた新しいシリーズをはじめようと思います。
↓羽化エピソード⑩最終回
といってもね。
今回のは企画とかそんな明るい感じじゃなくて、卯月が死なないための言葉みたいなもんなんです。
内容はちょっとヘビーになるかもしれません。
だけど話さなきゃ。
だから話すね。
とてもとてもなお話だから
……黙る力ももう無いボクら。
↑折り紙。です。
- 「鶴職人」と「折り紙」と「京都」
- 自分が自分でいられた場所
- 何かが起こるのはいつだって突然だ
- 辛さを感じられるいまゆえ
- 大切なものを大切にできなかった
- 同じ過ちを繰り返しちゃいけない
- 今日からわたしは鶴職人
- まとめ
「鶴職人」と「折り紙」と「京都」
上の写真。今日は折り紙のものを選びました。
タイトル「今日からわたしは鶴職人」と「折り紙」の写真だけでどういう意味かわかった方はとても鋭いなと思います。。
別の話からはじめて、ちゃんと言いますね。
突然ですが、みなさま「好きな場所は?」と聞かれたらなんと言いますか。
こういうのって決まっている人もそうでない人もいらっしゃると思うのですが。
卯月の中ではいつも好きな場所が決まっています。
わたしが好きな場所。それは「京都」です。
生まれたのも京都だし、なにより京都にはおじいちゃんおばあちゃんのお家があります。
なので京都が好きです。
わたしは今ひきこもっているからここ何年かは行っていません。
でも、京都というのはわたしにとって、とてもとても特別な場所なんです。
わたし京都が大好きなの♪
……ボクが居なくても生きていけた場所。
自分が自分でいられた場所
このブログによく遊びにきてくださっている方ならおわかりかもしれませんが、卯月という存在は相当に社会からズレてるんですよね。。
だから今まで自分にものすごくブロックをかけて生きてきて、心を開ける相手なんて幼少期から減っていくばかりでした。
だから学校とかも好きじゃないし。
気持ちがわるいくらいにあらゆることを卒なくこなすことで上手くやってました。
わたし多重人格っぽい気質もあったりしてですね。相当に内情が複雑なんです。
(それを今なんとかしようとしてる!)
上手く生きるためにいつだって心を封印しておきました。
家の外の誰かの前で泣いたことは今までで一度もありません。
自分の姿を見失いました。
でも、そんなわたしだってありのままでいられる場所がなかったわけではありません。
そのありのままでいられた場所。
そこが京都のおじいちゃんおばあちゃんのお家なんです。
昔っから夏休みのお盆の時期になると京都に行くのが我が家の習慣で。
8月の京都で、それもたった5日間くらい。
だけど。
その5日間だけは、自分が自分でいられた。
わたしにとって京都というのは、そしてそこにいつもいてくれるおじいちゃんおばあちゃんというのは本当に大きな存在でした。
そのあたたかさで心から笑えるわたしだったんだ!
……辛さを辛いと気付けない時も温度だけは分かる物。
何かが起こるのはいつだって突然だ
いま「でした」って過去形で言いました。
うん。わたしのおばあちゃんはもうこの世にはいないから。
おばあちゃんはわたしが16歳の時に「癌(がん)」でなくなりました。
だから数少ない心の支えだったおばあちゃんがなくなった時、わたしは頭がおかしくなりはじめました。
↓16歳のことはちょっと話してたね
そこからはもう病みルートです。
いまのひきこもり生活に続くという感じ。
わたしはまだ外出したりするの辛い気持ちが大きくって、だからここ何年間かは京都にも行けていなくて。
なんだけど。
きのう母から知らされました。
今度はおじいちゃんが「癌(がん)」になったということです。
え……
……あの時と同じ病。
辛さを感じられるいまゆえ
わたし家にひきこもっていますが、別にだらだらしてるわけではなくて。
心の勉強したりとか、瞑想したりとか、自分なりに努力をしてありのままの心を取り戻そうとしてきたつもりです。
だから最近、辛いことを辛いとすら気づけなかったわたしから、辛いことを少しずつ辛いと感じられるようになってきました。
でもそんないまだからこそ余計にこのことがどうしようもありません。
今までは辛くてもその1パーセント分くらいの辛さだけを感じて生きている状態でした。
そのたった1パーセントの辛さで心病んでしまうほど、おじいちゃんおばあちゃんは大切な人なんです。
だから1パーセントが2パーセントになって3パーセントになって。。
10パーセントくらい感じられる今のわたしには、まだ癌が発見されたというだけなのに、本当にどうしようもありません。
だって、ずっと大好きだったおばあちゃんがいなくなって、病んで、ひきこもってる間に、今度は大好きなおじいちゃんにもしものことがあったら、それってもう。。
ね。もうどうしていいかわからないじゃないですか。。
それでも生きることをやめたりはあり得ないけどね!
……自ら命を絶った身の内を知っているから。
それを知ったのも16歳の時だったんだよね
……偶然の悲劇が重なった年。
大切なものを大切にできなかった
わたし少しずつ弱っていくおばあちゃんを隣で見ているのが本当はとても辛かったんです。
何にも感じないようにしていたけれど、心の奥は辛くて辛くてしょうがありませんでした。
よく言われたんです。
「お手紙書いて送ってほしいな」
って。
電話とかは毎日のようにしていたけれど、それも途中でできなくなってしまって。
お手紙だったらおばあちゃんの元気なタイミングで読めるから、本当は毎日でも書けばよかったんです。
けれどわたしは「学校のテスト前だからまた今度書くね!」とか言って、結局何枚かしか出さなくて。
それは10歳ごろにしたおばあちゃんとの約束のためでもありました。
でもやっぱり本質的には、どんどん弱っていくおばあちゃんに触れるのが辛かったわたしの弱さでした。
わたしってもうどうしようもなく弱い者です。
大切なものを大切にできなかった。
そのことが本当に情けないんです。
まわりに流されて生きてたところがあったのも理由の一つかも
……己の目で生きたいと強く。
同じ過ちを繰り返しちゃいけない
大切なものを大切にする。
わたしはそんなあたり前のことにも気づかない愚か者でした。
けれど、こんなに苦しんでそういうこと学んだから。
だから今のわたしだったらきっと前とはちがう選択ができるんじゃないかって思ったんです。
抗癌剤の治療をすると免疫力が低下しますから、わたしがひきこもりということ以前にコロナのご時世会いに行くのはよくありません。
でも、この世の中におじいちゃんを元気にする方法が一つもないかって言われたら、そんなわけないじゃないですか!
それで考えたらね。
とってもいいこと思いつきました!!!
ぴかーんっとヒラメキ☆
……瞬間的閃き。
今日からわたしは鶴職人
その閃いたことがこれです。
千羽鶴を作ろう!!!
千羽鶴(せんばづる)は、多数の鶴の描かれた模様や絵画、および折り紙である折り鶴を1000羽作り、糸などで綴じて束ねたものを指す[1][2][3]。瑞鳥である鶴が千羽(多数)いることから更なる瑞兆を表す[2][3]。千羽は多数の意味で、1000羽ちょうどでなくてもよい[3]。かつては社寺に奉納されていたが[1]、現在は祝福、幸福祈願、災害などへの慰安、病気平癒祈願、見舞いなどを目的に作成や贈呈が行われている[2][3]。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
病気平癒祈願です!
「鶴職人」と「折り紙」と「京都」。
これでようやくつながりました。
今日からわたしは鶴職人になります!
「心と身体は一つ」というのが卯月の考えなので、身体の方はお医者さまにお任せして、卯月は心の方に元気を届けたいと思います♪
もう今日は長々と話すのここまでにしといて。
とにかく!がんばります!!!
いまはそれだけです。
まずは折り紙をゲットから!
……優先順位が理に叶った。
まとめ
はい。ということで。
今日は【今日からわたしは鶴職人①】でした。
鶴の製作の進み度合いとか、おじいちゃんおばあちゃん関連の話とか。
このシリーズはそんな感じのお話が続くと思います。
今のわたしは危ういところがあるので、話をすることによって自分の中を整理するという意味合いも。
心の方は必ずなんとかします。
明日にはもう製作がスタートする予定なので。
よかったらまた明日遊びにいらしてください♪
それでは。おやすみなさい。
……ここはキミの決め台詞の出番では。
こんな時こそ!
Let'sポジティブ!!!
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
以上、卯月でした。