あの世の鏡の前でうつくしい魂になりたい。
こんばんは、卯月です。
本日の起床時間ーー午後6時。
自分でも驚くほど眠ってしまいましたが、どうやら最近の精神変革に身体の方が追いついていかなかったようです。
スイッチがOFFになったように起こされてもまともに意識が戻らないという状況で、起床した際には母親に半分泣きつかれてしまいました。
いつも迷惑をかけてしまって本当に申し訳ない。。
ただそのおかげもあってか、いまはまるで凪いだ海のような心持ちです。
おそらくまたしばらくすると次なる山が現れるでしょうが。
おだやかな今はおだやかな今として。
そんな今日だから話したいことをお話しするとします。
ふわぁ〜18時間くらいねてたかも〜
……心と身体は一つだよ。
↑うつくし。こんな風景がどこかのいつかにあったんですね。
どうやって生きたらしあわせ?
わたし苦労というのは若いうちにたくさん経験しておいたらいいと思っているから、悩みも悩みとして考えられる今がありがたいなぁと感じることがあります。
それでもやっぱり悩まないために悩んでるんだからその先に行きたい。
だからうまく生きられていない状況をどうにか変えていくために、一体わたしはこれからどうやって生きたらしあわせでいられるんだろうということをよく考えます。
だって。わたしだって一瞬一瞬いろんなことを考えてその時々でベストだと思っていることを積み重ねて生きてきたはずだから。
それなのに心が病んでしまったのには、今まで気づいていなかった生きるうえで大切なものがあるはず。。
それはまるでとてもむずかしいようにも見えたけれど、いざ凪いだ今ならもっとすとんと腑に落ちてわかることでした。
その今までわかっていなかった大切の一つが「ものさし」です。
ベストをつみかさねてもベストにならないって不思議〜
……真理に叶うという意味では何時だって叶っているがね。
人間のものさし 佛さまのものさし
常識と思う方も多いかとは思いますが、みなさま相田みつをさんってご存知ですか?
日本の有名な詩人・書家でいらっしゃった方ですが、わたしその方の作品を見る機会が今までの人生でなぜか多くって。
↓こんな感じの詩を見たことある方も多いはず。
それで、そういうことに悩んでいるときにふとその作品の中の一つから思い出した言葉がありました。
そんかとくか
人間のものさし
うそかまことか
佛さまのものさし
『ひとりしずか』(相田みつを作品集)より
これを思い出した時に「あぁ。そういうことか。。」ってわかりました。
人間のものさしは未だこの世の真理のものさしから遠いんだということが。
だから人間のものさししか知らずに生きていると、幸せからずれていってしまうんだってこと。
そういうことがわかりました。
……時代と共に近付いているのか遠ざかっているのか分からないね。
これから近づいていくといいね♪
あの世の鏡の前でうつくしい魂になりたい
そう。それでね。
せっかくそういうことがわかったんだから、そういう風に生きていきたいと思うようになりました。
たとえば。
あの世のどこかに自分のしたすべてのことを映し出す鏡があるとするじゃないですか。
(浄玻璃の鏡みたいな。)
もちろん本当にそんなものがあるのかは知らない例え話です。
でも、もしもあるとしたなら。。
わたしはその鏡の前でうつくしい魂になりたいと思うようになりました。
仮に今一瞬、自分の弱さやみにくさやだめさを隠すために誰かに嘘をついたとして。
それはそのほんの一瞬は自分のことをきれいに見せることができるかもしれないけれども、そんなことをしてもあの世の鏡の前では全然うつくしくなんてなれないなって。
そう在るってこと、いくら隠してもそう在ったという事実は変わらないなって気づきました。
だからこれからはもっと正直に生きていきたい。
そして今一瞬の損得勘定ではなくって、もっと根本的な。
魂を磨いていくような生き方がしたいと思い、今夜はこんなお話をしてみたのでありました。
……嘘で己を取り繕う事はあの世の鏡の前では無意味だ。
まっすぐいられたらいいよね!
まとめ
はい。ということで。
今日は生き方とあの世の鏡についてでした。
今は凪いだ海のようだと言いましたが。
ここのところは自分の中の揺れ幅が特に大きいので、また明日になれば凪の時が過ぎ去るのかもわかりません。
ただ、今は今。話したいことを話させていただきました。
ありのままを正直に生きることって、きっとすごく強いことなんですね。
それでは。
本日もおつかれさまでした。
また明日お会いしましょう。
それじゃおやすみなさ〜い♪
……もう寝るのかい。
うん〜そろそろねむくなりそうだし〜
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
以上、卯月でした。
AIと未来。時代の流れをみきらなきゃね。
こんばんは、卯月です。
ふわぁ〜。ちょっとねむい〜。
ここのところ自分と向き合っている時間が長いのもあって精神力の消費がすごいんですよね。
↓きのう一大問題を解決っ♪
愛情を感じてはいけないという自分のブロックをはずすために、まわりの人にすごくやさしくしてみようってことだったのですが。
そういうのってタイミングが重要かなと思ったので、自分にとって一番いい時にやってみようと思います。
(進歩したときにはまたお話しするかも!)
それでね。
最近そういう心理的なお話を続けていてふと、心理学ってあらためて重要だなと思って。
だから今日はそんなことから派生させておしゃべりしていきます。
……人間の心。それは宇宙の心でもある。
すべては一つ♪だもんね
↑じかに見るとかわいい気がするんだけどなぁ。これはちょっとこわいな。笑
心理学ってあらためて重要
心理学ってかんたんに言うと「心と行動についての科学」って感じですよね。
(系統的には哲学の派生ってイメージかな?)
人間についてのことってのもあって比較的新しい学問分野という印象がありますけれども。
でも起源はずっと昔の古代エジプトとかそういう場所までさかのぼるわけだからとっても奥の深い学問分野だなぁという風に思っています。
それでね。わたしはひきこもってて大学とかは行ってないから、だれもカリキュラムなんて用意してくれないんですね。
だから自分自身でなにを学ぶことに時間を使うのかって考えなきゃいけない。
そういう状況の中でも心理学っていうのは積極的に触れるようにしています。
わたし自身が人好きだからっていうこととか、心をもっと健康にするためとか、そういう理由ももちろんありますが、それ以外にも大切と思う理由はあって。
それが、今日のタイトルであるAIと未来についてのお話にからんできます。
未来のことってわくわくしちゃう♪
……知らない様で知っている事も又知らない時がある。
AIと未来
未来の話とかでさ。
よく聞くじゃないですかAI(人工知能)って。
科学技術とかって発達させようとしてがんばってる人たちが多い反面、それによって職業をとって変わられてしまうんじゃないかっておそれている人とかもいて。
なかなかに大きな渦が巻いているところでもありますけれど!
そういうものは発達していくのはわかってるんだから、それを見越したうえで自分の学ぶことを選んだらいいっていうのが卯月の考えでありまして。
その観点で考えても、心理学は今後人間にとって重要になっていく学問だって思うんですよね〜♪
……人間の心を「人間が」知る事に価値がある。
そうそ♪
「ひとが」ひとを知るってひと以外じゃむりだもん!
たとえばこんなデータもあるし
ただのひきこもり(将来は世界一って呼ばれるようになるんだけどさ。いまはね。)が言ってもちょっと説得力ないだろうから、ちゃーんといいデータも取ってきましたよ。
これオックスフォード大学のマイケル・オズボーン博士たちによる未来予測のひとつ。
「2030年に必要とされるスキル」について、上位10までってこんな感じに言われているそう。
1位 戦略的学習力2位 心理学
3位 指導力
4位 社会洞察力
5位 社会学・人類学
6位 教育学
7位 協調性
8位 独創性
9位 発想の豊かさ
10位 アクティブ・ラーニング
出典:The Future of Skills: Employment in 2030 – University of Oxford
ほら。心理学2位って。
こういうの年々変わっていくものだけれど、でもなんとなく「人間だからできること」っていう考え方の観点は伝わってきますよね♪
ちなみに卯月といたしましては。
現在ひきこもりで自由人を極めているので7位協調性を見たときにやべっと思いました。
ただ、そのほうが生きやすいのでなおす気はあんまないっ!
ははっ!笑
……人間が人間として生きる事。
そのためのつばさがほしーい☆
時代の流れをみきらなきゃね
そして結論として言いたかったのは。
時代の流れをみきらなきゃね。
ってこと!
今たとえばって話をしようと思ったのですが。
自分関係でパッとでてくるのは夢についてくらいでした。
歌手になりたい。
作詞をしたい。
作曲をしたい。
絵を描きたい。
動画を作りたい。
小説家になりたい。
科学をしたい。
心を磨きたい。
芸術・文学・学問。そういう人の精神と直結する方向性。
それはただ好きって気持ちにプラスして人間が伝え行うことに意味がある方面をチョイスしているっていうのもあるんですよ。
(それをする上でも心理学って重要と思って。)
でも言葉としてすぐに出てくるのはそこくらいだったから、わたしもまだまだだなぁ。。
よしっ。こういう時は「伸び代がある」って言葉を使ったらいいですね。
のびしろって思いついた人ナイスアイディアだよね♪
……自然と成長を促されるようだ。
まとめ
はい。ということで。
今日は心理学からの派生お話でした。
なんだか今回はかなり真面目な内容になりましたが、いかがでしたか?
AIも成長する未来には。
人間だからこそできることをする。
そのために人間として人間の心を知る。
そういう意味で心理学って大切と思う。
まとめるとこんな感じ〜♪
未来のこと。
AIに取って代わられるなんて言うとこわい感じもしちゃうけど、便利だから技術を発達させようとしている人がいるわけで。
その辺のところポジティブに捉えて自分自身が適応していけたらいいなって思います。
故郷とかもいいけれど、旅先ってまたロマンですよね。
ふふっ!なんか楽しくなってきちゃった!
それでは。おやすみなさーい♪
……本当は皆未来も知っているけれどね。
はっ!ってひらめいたりするもんね〜
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
以上、卯月でした。
こうやって生きたいって思うんだ。
こんばんは、卯月です。
なんだか、もう秋ですね。
今ちょうど庭の方からヒグラシの声が聴こえてきて。
カナカナカナカナ〜って。
しんみり。。
おっと。気持ちを切りかえていかないと。
(最近のわたしは少し感傷的になりすぎていけません)
あのね。昨日まで千羽鶴のシリーズが続いていたのですが。
これ1000羽折りおわるまでずっと連載してると長すぎになってしまいそうなので、⑦からは区切りにたどり着き次第にすることにしました。
↓ちなみに前回
それで。何を話そうかな〜ってぼんやりしてみたらいいお話を思いつきました!
今回はわたしの最近ブームの言葉を紹介させてくださいっ♪
……言葉。
それは誰かの人生のかけら!
↑秋を先取り。こんな景色にはまだ少し早いけれど。
ただいま一大ブームの言葉
ほら。わたしめっちゃ病んでるし、ひきこもってるし、色々ボロボロじゃないですか!
(と言いつつやけに明るい。笑)
だから、そういう風に逆境を乗り越えた人とかの言葉を読むと元気がもらえたり、がんばろうって思えたりして。
けっこう名言的なもの好きなんですよね。
それで現在の一大ブームがこれなんです。
たたーん!
永遠に生きるかのように学べ。明日死ぬかのように生きろ。
モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー
いい!しびれるぜ!!
「インド独立の父」なんて言われたりもしているマハトマ・ガンディーさんの言葉と言われているものですが、わたしはこの言葉に大賛成で。
すごく。。よくないですか?
↓ちなみにガンディーさんってこんな方。
(自分の言葉で紹介できるほど詳しくないから頼みますwiki!笑)
モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー(グジャラーティー文字表記:મોહનદાસ કરમચંદ ગાંધીデーヴァナーガリー文字表記">मोहनदास करमचन्</spaラテン文字atn">Mohandas Karamchand Ga、1869年10月2日 - 1948年1月30日)は、インドのグジャラート出身弁護士、宗教家、政治指導者である。マハトマ・ガンディー(=マハートマー・ガーンディー)として知られるインド独立の父。「マハートマー(महात्मा)」とは「偉大なる魂」という意味で、インドの詩聖タゴールから贈られたとされるガンディーの尊称である(自治連盟の創設者・神智学協会会長のアニー・ベサントが最初に言い出したとの説もある)。また、インドでは親しみをこめて「バープー」(:「父親」の意味)とも呼ばれている。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
会ったことないから実際は知らないけど!
……ボクら己の目で見た物しか信じない。
こうやって生きたいって思うんだ
なんかさ。。
毎日自分の人生を生きているはずだけれど、生きてることに無自覚になってしまうことってありませんか?
わたしなんて病むまでは自分と向き合うって時間すらほとんどなくって。
こんな言葉を聞いてもそれすらスルーしていたくらいでした。
でも最近ようやく生きる意味に気づいて
せっかくなら、できるだけ多くのことを学びたい!
せっかくなら、できるだけたくさんのことを成したい!
って思うようになりました。
ただ。
なんとなくで過ごしてしまう時間があったりとか、ほかの人にどう思われるかがこわくて動けなかったりとか。
そんな生き方に使ってる時間はないんだって思ってもまだ今までのクセが抜けきらないところもあって。。
(うじうじうじうじ。。)
それで出てくるのがこの言葉です。
自分ってこんな風に生きるために生まれてきたわけじゃないんだ!
もっとすべきことがたくさんあるんだ!
ってことを思い出させてくれるから♪
そんなことで。わたしこの言葉にとてもハマってるんですね。
特に卯月はチキンすぎる性格なので、後半が好きっ。
明日死ぬかのように生きろ。
だって。
明日死ぬって思ったら何でもできるし何にもこわくないから!
先を見すぎてうごけなくなったら意味ないもんね
……死ぬ事を恐れて生きる事を忘れた者。
まとめ
はい。ということで。
今日は最近ブームの言葉のご紹介でした。
この言葉はとても有名だと思うのですが、改めて聞くとちがう感じ方する時ってあるじゃないですか。
だからお話ししてみました!
また色々と言葉とかも紹介するかもしれません。
それでは。今日もおつかれさまでした〜♪
おやすみなさい!
……また会おう。
最後まできいてくださってありがとうございました。
以上、卯月でした。
【哲学】言葉は本質を表すもの。
こんばんは、卯月です。
今日はふと思い立ったので、ひさしぶりに哲学っぽい話をしてみようかなと思います。
(とつぜんすぎるけど気にせず進みます。笑)
↓前はこんなこと話したりしたね
それで今回おしゃべりしようと思っているのが「言葉」のこと。
卯月はよく「言葉が大切」と言っていましたが、そもそも言葉についてを未だ話していませんでした!
わたし小説家になる予定だし、言葉については悩んでいた時期も長いので。
きっと、新鮮な風を吹かせられると思う!
ってことで。今回は自信満々です。
言いたいこと多いのでたくさんしゃべります。
気合を入れて読んでください。
……根本を知れば知るだけ。
見える世界がひろがるよね♪
↑なんの本読んでるんだろ。。
物語がかけないスランプ
さっきわたし「言葉については悩んでいた時期も長い」と言いましたが。
はい。そうなんです。
卯月は現在ひきこもりの身ですが、その中でもひきこもり開始時期くらいが特にやばくて。
ありとあらゆることが上手くいかない状態の時には技術的な面にも支障をきたして、「物語がかけない」という状態になっていたんです。
いわゆる「スランプ」ってやつ。
今はもうそのスランプを乗り越えて、もはや毎日ブログで話しまくってますけどね!笑
スランプを抜けるまでの間は「一体文章ってなんなんだっ!?」って感じで、すごく悩んでいました。
……スランプの乗り越え方もいつか話すと良いかも知れないね。
たしかに似てる悩みのひとの役にたてるかも!
こんど話してみよっかな〜
言葉について突き抜ける
それで悩んでいくうちに核の部分にせまってきて。
「物語」がかけない→「文章」がかけない→そもそも「言葉」がなんなのかわからない。
という道を通ってわたしは「言葉」というものに行き着きました。
だって、言葉って不思議じゃないですか。
昔っから数々の人間がその起源や他言語同士のシンクロにティに頭を悩ませているのにも関わらず、今だってその結論が一般常識になったりはしていないんです。
卯月もそれに悩みました。
時には弟に協力をお願いして、言葉の起源についての実験に付き合ってもらったこともあります。
(めいわくな姉です。笑)
そんなことをしている内に、ようやく自分の中で「わかる」という状態に落ち着きました。
……その線を突き抜けたんだ。
ためてためてためて
バーン!!!って!
言葉は本質を表すもの
それでね。結論から話してしまうと。
言葉は本質を表すもの。
なんです。
これだけだと少しわかりにくいと思うので、具体的に。
言葉って、主に「話し言葉」と「書き言葉」とあるじゃないですか。
それでね。
話し言葉=音
書き言葉=形
なんです。
どういうことかって、音と形で本質を表現するのが言葉ってこと!
言葉は本質を表すもの。
まさにそういうことでした。
……本質とは存在の核の事だよ。
△だったり◯だったりにみえても、円錐って円錐!
もっと本質を見ていたんだ
これがわかった時に卯月の中には言葉の起源とか他言語同士のシンクロ二ティについてもストンってふに落ちました♪
それもそのはずで。
少しばかりの表現のちがいがあったとしても、同じものの本質は同じじゃないですか。
現代はすでに言語があった上で生まれてきているので、わたしたちその本質を表現するという感覚にとぼしいことが多くて。
だからその起源も余計にミステリーに見えてしまうのかなって思います。
きっと言葉の誕生の頃の人類は、もっと本質をよく見ていたんじゃないかな。
だからこそ。
言葉がない0の状態で言葉がはじまる。
そしてそれが通じる。
ということが起こり得たんだと卯月は思っています。
……あくまで個人の解釈だが。
そうそう!
タイムスリップしてチェックしたわけじゃないしね〜!
だから言葉って自由なんだよ!
おっと。ちょっとマジメに話しすぎました?笑
それじゃ、最後はちょっとゆるくいきます。
わたしの言葉に関する生態をばくろしましょう。
とつぜんですが。
卯月はひとりでいる時はよくごきげんで鼻歌を歌います。
(歌手めざしてるし歌すき♪)
で。そこまではまあ普通じゃないですか。
なんだけど。ここからがちょっぴり独自かもしれないって思っていて。
日本語や英語を歌うことはもちろんあるんですが。
それ以外も歌うんですよね。
それ以外というのは別の国や時代の言葉ってことじゃありません!
この世のどこにもない独自の言葉で歌うことがあります。
だって。わたしもう言葉は本質の表現だって気づいちゃったんですもん♪
すでにある言語で表現できないものは、自分でその本質をひっぱってきて言葉にしてしまえばよくないですか?
もちろん。伝えるために話す時は既存の言語で話します。
(ブログだって日本語でかいてるしね〜)
でも、表現って意味なら好きにしていいですよね。
ここで最後に言いたかったことは「だから言葉って自由なんだよ!」ということ♪
もし日本語とか既存の言語にしばられてしまっているひとがいたら、このこと伝えたいなって思ってラストにお話ししてみました。
みんな好きに表現したらいいの〜♪
……呪文が在った意味が分かるね。
まとめ
はい。ということで。
今日は「言葉」について哲学的な面もふまえてお話してみました。
言いたいことがたくさんあったので全部伝わっているかちょっぴり心配になってきました。。
みなさまいかがでしたでしょうか?
とにかくですね。
今日は言葉について話したかったので話しました。
なにか気づきとかいい方向への発見につかがることがあったら、とてもうれしく思います!
それでは、また明日お会いしましょう♪
みんなおやすみなさい!
……おやすみ。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
以上、卯月でした。
世界が平和になったらいいと思う。
こんばんは、卯月です。
今日は8月6日。原爆の日ですね。
わたしが今何か言えることもないのですが、そんな日に少し考えてみたいこと。
今回は少し平和に関係するお話をしてみようと思います。
平和ってなんだろ?
……それは世界の課題なのだろう。
世界が平和になったらいいと思う
世界が平和になったらいいと思うっていうのは、わたし本気で言ってます。
でも、平和ってなんでしょうね。
戦争がないこと?餓死者がいないこと?
そんな風に言われると、なんだかそういうのってうまく答えられません。
卯月が前に書いた記事で、幸せと不幸というのは表裏一体だという話をしたことがあります。
↓けっこう前の
いいことがあれば悪いことがあり、また悪いことがあればいいことがある。
卯月としては平和の中にもそんな陰と陽のような関係性を感じているんです。
たとえば争いで多くの命が失われたとしても、争いがあったことで生まれ得た命もあることでしょう。
そう思うとわたしは一体何を望めばいいのだろうかと、わからなくなってしまいそうです。
なにが正しいかって自分で決めなきゃいけないの!
……ボクら己の軸で生きるしかないさ。
限りなく「無」を目指していた
さっき言った「いいこと」と「悪いこと」が表裏一体だという話。
卯月がそれを身に染みて気づいたのは高校生の時でした。
だから、それまではなんの迷いもなく「いいこと」をしようって思っていたのですが、それが起こることで何かしらの「悪いこと」が起こっているという風に気づいて。
しかも、その「悪いこと」っていうのは卯月以外の別の誰かが被っていたりすることを知って。
それから、「いいこと」も「悪いこと」も起こらない「無」の状態を目指していた時期があります。(いや、ほんとに笑)
実際それはわたしの中でかなり困っていたことでした。
けど、数年間のひきこもり生活を経て、それって違うよなと気づかされました。
それではきっと心をなくしてしまうの
……絶対零度すら温度で測られてしまうんだ。
だから光に進んでいいと許した
そもそも気づいたのが「いいこと」「悪いこと」そんなのはその人のその時の世界の切り取り方に過ぎないということです。
今は実際の世界にはあらゆる物事が「在る」だけであるというのがわたしの考えになりました。
つまり、わたしが勝手に自分のフィルターで色々決めつけてただけ。
自分の中で「いいこと」と思えるような、つまり本当に自分の進みたい道を閉じてしまうのって全然意味ないじゃん!
という風にわかってからは、自分が自分自身の光に進むことを許せるようになりました。
光があるところには闇があるように。
卯月は信念がものすごく強烈なんで、わたしが動くことによる変化がこわかったんだと思います。
でももう、それによって起こりうるありとあらゆることを許せるようになりました。
そういうの、色々あってこその人生ってもんですよね!
その方がきっと生きがいがあるはず♪
……それが人生の醍醐味かも知れない。
つまり自分の望むまま
なんでこんな話をしたのかっていうと、平和を願うのもアリってこと。
日常生活で平和願ってるひとってそんなに見かけないし。
(みんな内緒にしてるだけかもしれないけど!)
どちらかというと今の社会、そんなこと本気で言ってたら冷ややかな目で見られてしまいそうな気がしていました。
でも、そんなことは気にせずに自分はただ自分の望む道に進めばいいってこと。
さっき、何を望めばいいかわからないという話をしましたが。
それはきっと社会の目で考えようとするからわからなかったんだと思います。
自分の目を信じたら、自分自身の望みがわからないなんてことないはず!
平和がなんなのかわからなくたって。
なにをしたらいいか答えがなくたって。
わたしは平和を望みたいから望むことにしました!
決まり!
結論でた〜!
……随分シンプルと。
まとめ
はい。ということで。
今日は平和に関係するお話でした。
結論は。
平和がいいね!そう進むよ!
ってこと!(まとめ方が雑。笑)
考えながら話していたので、わたしの思考の動きまでブログに映ってしまいました。笑
でも、それぞれが自分の生きたいように生きたら、なんかもうそれでいいですよね。
今回はちょい真面目回でした。
お付き合いいただき感謝です。
みんなハッピーなら世界はハッピー!
……極論はね。
最後までお読みくださってありがとうございました。
以上、卯月でした。
【哲学】存在価値について辿りついた場所。
こんばんは、卯月です。
いきなりですが。
みなさま「存在価値」について考えたことってありますか?
(いや、ほんといきなりだよ笑)
卯月は哲学ってのが好きで、よく思索にふけるんですけど。
現代の常識になーんか違和感があって、だけど、どこが違和感なのかよくわからなくて。
それについてようやく自分の中で違和感の正体が発覚して、とある考えに辿りついたので。
今日はその話をしようと思います。
……キミの話は色んな方角に飛ぶね。
すべては一つ!だから♪
今から話す「存在価値」
卯月が今から話す「存在価値」っていうのは。
自分とか人間とかだけじゃなくって全部のことです。
人もアリも石ころも。
本当に全部のことです。
……まずは言葉の定義か。
そうそう!そこをちゃんとしなくっちゃね〜
なんかおかしいって思ってた
それで。なんかおかしいなって思ってたんですよ。
でも、なんなのかはよくわかっていなくって。
それがわかりました。
たとえば人間とアリの話。
人って自分のことアリよりは上の存在だと思っている感じがありませんか。
卯月はそれがおかしいって思うんです。
もしもそう思っているところがあったとしたら、それはきっと人の方がアリのすごさに気づけていないんだと思うんです。
違和感の正体はそこでした。
きっとわたしたち、在ることのすごさを知らない!
……ボクの目も節穴、か。
存在してることはみんな同じ
卯月の今考えていることはこうです。
存在してることはみんな同じ。
そこには上下ではなく横の関係が続いているだけなんだ。
福沢諭吉さんの『学問のすゝめ』の冒頭にはこんな風な記述があります。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。
学問のすゝめ
この後に続く文は学問によって差がつくという内容に進んでいきますが、生まれながらの人の平等について有名で大切にされてきた言葉であることは確かです。
卯月はその平等は「人」であるがゆえではなくて、「存在」しているがゆえのものだと。
そういう風に思いました。
そこにいるってすごいことなんだ!って思ったの!
……全ての存在価値は平等であると言いたいようだね。
わかってどうなるのかはまだ
でも、せっかく「わかった!」ってなったけれど。
理想論の世界だけで生きていては意味がないです。
存在価値が平等って気づいても毎日命をいただかないと生きてはいけないし、それはこの世の摂理、卯月がいつも言っている「真理」の姿の一つでもあります。
一体これがわかったところで何が変わるのか。
本当はわたしにもまだよくわかりません。
けれど、ちがう考えをする人にこの考えを伝えたりすることって意味がないとは思えなくて。
今日はこうやって話させていただきました。
でも、そのことをわかって生きる人生は今までとはちがうと思うの!
……いつかその点が繋がるかも知れないよ。
まとめ
はい。ということで。
今日は存在価値についてのお話でした。
卯月の気づきがみなさまの役に立っているのかはわかりませんが、少なくともそういう考えを持った人間がここにいるってことに意味がある気がします。
この考えが常識になったら、もっとやさしい世界になるんじゃないかなって思うし。
哲学っぽい話もまた、たまーにしますね。
ではでは。
よかったらみんなも考えてみてね〜♪
……存在しているという事について。
最後までお読みくださってありがとうございました。
以上、卯月でした。
【哲学】目的論の住人になろう。
こんばんは、卯月です。
実は昨日、哲学の勉強をしていて大きく自分の生き方を見つめ直すタイミングがありました。
今日はちょっとその話でもしてみようと思います。
哲学と言っても、むずかしいカタカナ言葉とかは無しで話すのでご安心を。
原因論と目的論の話をします。
……ボクは哲学の側面から生まれた存在でもある。
たしかに如月くんってむずかしいこと言ってるイメージかも!
原因論と目的論
みなさま「原因論」と「目的論」って聞いたことあるでしょうか?
簡単に説明するとこう。
- 「原因論」……過去の状況が現在を作っているという考え方。
- 「目的論」……なんらかの目的を達成するために現在の状況を作っているという考え方。
例えて話すならこう。
ある人が急な雨にふられて熱をだしました。
- 「原因論」……雨にふられたから熱がでてしまった。
- 「目的論」……免疫機能の活性化のために熱をだしている。
ひとまずここでは、二つの理論は現在の捉え方が違うんだということがお分かりいただければ大丈夫です。
どっちが正しいとかそういう話ではないよ〜
……現在に対する解釈の違いだね。
大きすぎる違いを知った
普段生きている上で、そんなにこういうことって意識することはないと思うのですが。
卯月は昨日これがいかに大きな違いなのかってことを知りました。
この二つの考え方の違いは、卯月がひきこもりを抜け出し世界一までたどり着くために、ハイパーミラクルスーパー大切なことでした。
今からその違いを説明します。
……修飾語が多すぎないかい。
その方がすごさが伝わるでしょ〜?
解釈ひとつで何が変わるのか
たった解釈ひとつの違いですが、この二つの差は月とすっぽんです。
卯月のひきこもり事情を例にして説明してみるとこんな感じ。
- 「原因論」……過去のトラウマ、環境、経験によってひきこもりになってしまった。
- 「目的論」……ひきこもりたいからひきこもっている。
この違いの大きさわかっていただけるでしょうか?
「原因論」で捉えているうちは現在の問題はもう変えられない過去に起因しているということになります。
しかし、「目的論」で考えれば。
ひきこもっているのは自分の目的のため、すなわち、今この瞬間からでもその目的さえなくなればひきこもる必要はなくなるってことなんです。
卯月は前自分でも意識しないうちに「目的論」的な説明をしていたことがあったのですが、その考え方が実はものすごく大事だったということに気づきました。
↓ここでの説明
捉え方だけでこんなに世界が変わるんだ!ってびっくりしちゃった
……己が変われば己の見る世界もまた変化する。
目的論はある意味きびしい
目的論の住人になること。
それは全責任を自分で引き受けることでもあります。
原因論の場合だと今の自分の悩みを過去の「自分にはどうしようもできなかった事実」のせいだと言い訳することもできますが、目的論だとそうはいきません。
自分が苦しいのは誰のせいでもなく、ただ自分が苦しい道を選ぶ目的があったから。
それはすべて自己責任です。
それだけ聞くとある意味きびしい考え方かもしれませんが、自分の責任で自分の人生を生きることって前に進むには必要なことなんじゃないのかなって。
今の自分の問題は、今の自分の目的による。
そう考えることで、自分の目的を変えるだけでどんな姿にだって進化していけるわけです。
自分の人生なんだから、自分の足で前に進みたいもんね!
……全て己の目的故と捉える思考。
まとめ
はい。ということで。
今日は、原因論と目的論の話をしてみました。
この二つの考え方の差を知って、自分のものの見方が変わってきたような気がします。
卯月はこれから目的論の住人になろうと思います。
みなさまにも参考になっていれば幸いです♪
……哲学は生きる知恵。
生き方のヒントがたくさんつまってるよね!
最後までお読みくださってありがとうございました。
以上、卯月でした。